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石川中央労務研究所

「ヒト」を通じて企業を元気に!


壁面を背に日本の未来づくり

 

社会保険労務士制度創設50周年記念式典に出席してきました。会場は東京フォーラム、中央部最上階、最上段最後部、本当に背後は壁面でした。地方の社会保険労務士会の更に周辺地域の小さな支部に属し、最末端最底辺で業務に携わる私たち小さな事務所の者にも、式典出席の呼びかけがあったことがよく分ります。ステージの床面は勿論のことオーケストラボックスの底まで覗き込む位置から、天皇皇后両陛下を膝の先に望み、全国から集まった多くの社会保険労務士会幹部の熱気を受け止めることができました。「人を大切にする企業」「人を大切にする社会」の実現に向けて、と題されて催された式典の後半は“日本の未来づくりと社労士の役割”をテーマにしたシンポジウムが行われ、各方面の有識者の皆さんから様々の視点から私たちへの期待や激励がありました。その中で私にとっても一つの課題と考えられるのは、「人が夢中になって仕事を覚える時間」をどうやって作り出すかということでした。海外で仕事を探す人や留学を志す人が減少していることとも関係しているのかも知れません。若い時期にしかできないこと、時機を逸しては取り返せないこと、大切なことを見逃したまま時間が過ぎ去るのを知りながら、前に踏み出すことを考えずに今ここに留まるという選択が、ちょっと不思議なことに思います。終身雇用終焉の不安なのか、非正規雇用への反発なのか、貧困化の拡大深化なのか、中間層崩壊の反映なのか、どれも当ってはいないようです。企業が簡単に解決できる課題ではありませんが、仕事を通して考えるなら、仕事をするのはヒトであり、ヒトを大切にする企業は仕事を大切にする企業であり、仕事を大切にする企業で働くヒトは仕事をするヒトであり、ヒトを大切にする企業には仕事をするヒトがいるということになります。私たち社会保険労務士にとっては、安心して仕事をすることができる企業づくり、安心して仕事を覚えることのできる企業づくりが課題として示されたのだと考えています。「人一人は大切なり」の言葉を心に刻み、50年の歴史を踏まえながら、「仕事をするのはヒト」の思いを新たに、新しい年の始めを迎えています。


千代女の松任まち巡り

 

 新しい年のカレンダーが届くようになり、平成の年号が数カ月で終わることにだんだんとリアリティを感じるようになりました。また、新天皇即位の皇位継承式典により祝日が増えて、ゴールデンウイークは427日から56日までの10連休ということにもなるようです。平成の年号になって間もなくいま住んでいる家に引っ越したので、木々の成長や草花の移り変わり、台風や大雪や屋根の修理や物置の建替やら、ほぼ時代と並行して今の土地での時間が進んでいます。これを振り返ってみれば、これまでの人生の半分ちかくを過ごした土地なのに余り詳しく知らずに暮らしています。仕事場と距離があることも一つで、近場のレストランや料理屋さんなど今も探検しているレベルです。そんな状態なのに、旧松任町内の案内役を引き受けてしましました。定期的に開催している研究会のスピーカーとして何かできないかJAL財団の知人に相談したところ、松任で俳句の話をするのなら他の予定を後に回してでも行きたいと返事をもらったのです。折角なので、松任の俳人として著名な加賀の千代女にゆかりの場所など少し巡ってみようということなのですが、ゆっくりと町内を歩いたこともなく、食事やトイレなどどこに何があるやらも知らず慌てて調べながら下見をしています。まずはベースになりそうなのがJR松任駅前にある「千代女の里俳句館」、駐車場がなくてちょっと不便ですが、すぐ近くにある立体駐車場が使えるので、歩いて廻るにはとてもいい場所のようです。その前に、商店街の中に在る「千代女遺芳館」は聖興寺に隣接し、古く千代女を偲ぶ町の人により建てられた千代尼塚には辞世の句が刻まれていて、千代尼堂や草風庵もあり千代女を語るにここは欠かせないところです。ほか、「おかりや公園」として親しまれている松任城址や松任金剣宮には句碑や歌碑が据えられており、字句を読む人には関心を持ってもらえるはずです。あと、時間あれば泉鏡花ゆかりの摩耶夫人像を安置する行善寺や十億の母を詠んだ暁烏敏の生誕の明達寺なども候補にしています。これで半日はかかるので、お昼ご飯をどうしようか、荒れた日だとどうしようか、俳句館併設の美術館・博物館はどうしようか、まだまだ課題が残っています。


新大阪駅東口で編集会議

 

 名古屋市内で研修会が企画されることの多い石川県社会保険労務士会ですが、これは会に中部地域というくくりがあって、県内で開催するのでなければ北陸三県か或いは少し拡がると東海四県を併せて名古屋が会場ということのようです。ところが、受講する対象者が限定される研修ですと会場数が少なくなるので名古屋での開催が見送られることもあり、この秋に一泊二日の介護事業研修が大阪で開催されるという通知を受けてこれに申し込みました。10時まで事務所にいて急いで乗り込んだサンダーバードが神戸線の事故の影響で遅れてしまい、昼食を抜いても研修の開始時刻に間に合わないという情けないスタートです。かなりタイトな日程でしたが、一日目終了後に晩飯を兼ねて事務所通信の編集会議をやろうと、大阪在住の岡崎凛さんと武内正樹さんに声をかけ、研修会場に近い新大阪駅まで出て来てもらうことができました。折角なので粉ものをという話だったのが、お好み焼き屋さんは席が取れず難しく、東口に近い焼き鳥屋さんに入り、ゆっくり話をしているうちに遅い時間になってしまい、そのままホテルに戻りました。翌朝の東口はにわか雨もあって雰囲気が変わり、青空マーケットで賑わう公園広場を抜けた先の研修会場で二日目の講義です。介護事業に関わる様々の方向から多くの人の話を聞き、ケースワークでは介護事業の労務管理に携わる社労士の取り組み方を教わりました。この先まだ高齢者が増え続けるのに伴い介護人材も需要が増えて、2025年までに55万人毎年6万人ずつ介護人材を確保する必要があるということです。このため、介護職員の処遇改善加算、中高年の介護補助職への育成活用、外国人介護人材の受け容れ拡充など、いくつもの施策が講じられています。ただ、介護業界では「保険外」「中重度化」「自立支援」「ロボット」「アジア」をキーワードに2025年をパラダイムシフトの目安と見ているものの、まだ中長期の根本的な改革案がまとまらない状態にあるそうです。


社労士50年の知恵を贈る

 

 社会保険労務士制度創設50周年の式典を前に、私ども同業の大先輩である村井先生が亡くなりました。仕事のことはもちろんですが、人の世を生きていくうえでの知恵を戴くことの多い方でした。私にとってメンターとはこの方だったかと、亡くなられてからそんなことを想っています。社会保険労務士として事務所を設けて45年の間お一人で業務をこなしていたというだけでも真似のできないことですが、映画や音楽そして歴史に古典と実に博識で、様々な領域に関心を持って日ごろの思いを独特の語り口で文章をまとめ、毎月のように私の事務所まで届けて頂きました。“らむがき”と名付けて書き始めたのが60歳を過ぎてからだそうですが、それでも20年近くの長期に亘って事務所の運営にあたり社会保険労務士会の役務をこなしながら書き綴ってみえたことになります。もともとは会計事務所に勤務しながら行政書士資格や社会保険労務士資格を取得して開業されたことから企業のアウトラインをつかむことが得意で、労働社会保険の手続や給料計算だけでなく労働問題・労務管理に関して説得力のある的確なアドバイスのできるコンサルタントとしても信頼の厚い先生としての印象があります。私自身も資格を取得して開業する前までは会計事務所にお世話になっており、会計事務所に勤務しながら資格登録して社会保険労務士会に入会している時期が長かったため、その頃から何かとお声かけ頂くことが多く、開業にあたっても励ましの言葉はとても力強いものでした。私が開業してからもお世話になることが多く、大金が絡む話でご迷惑だったに違いありませんが、母親が土地の名義を巡って自宅からの立ち退きを求められた際にも快く相談に乗って頂いて、お陰でこの時は落ち着いた気持で普段の生活を心がけることができました。平成の年号が変わろうとしている今、私が資格登録したのはまだ昭和でしたので、私も社会保険労務士として30年の経歴を重ねたことになります。諸先輩から授かったご恩を後輩達に贈り、引き継ぐべき後輩を育てる時期に来ているのだと思うようになりました。


長くて暑い焼き肉の夏

今年は梅雨明けが7月9日と例年より2週間以上も早く、それからは暑くて長い夏がいつまでも終わらないような毎日が続きましたが、台風が日本海に抜けて一雨あってからようやく秋の虫が騒ぎ始め、幾分か朝夕に季節を感じるようになりました。大雪の冬と猛暑の夏と、おそらく記録としては異常な年になりそうですが、気分としては冬らしい冬に夏らしい夏があるのは結構いいもので、これに春と秋の過ごし易い季節がもっと長ければ悪いものでもないように思っています。大きな災害のない地域に暮らしているからかも知れませんが、寒い季節には寒い時期のものを食べることができて、暑い季節には暑い時期の食べ物を口にすることができるのは、自分の体そのものが季節に応じて変化してきているような気がして、砂が残る板の間で麦茶のペットボトルと並んでゴロゴロと涼んでいる自分が愛おしく思ういい夏を過ごしました。

 

 この夏、焼き肉やバーベキューがいつもの年よりも多くなりました。例年なら町内会の夏の恒例のイベントとしてバーベキュー大会を開催しているのですが、今年は豪雪のため除雪費の出費がオーバーしたためバーベキュー大会を取り止めて除雪の超過費用に充てることにしたそうで、この計算だと焼き肉は1回減になるはずでした。ところが尋常ではないこの暑さ、ソーメンよりも焼肉ということなのか、回数増加の結果です。何人か集まることがあると打ち上げだの何だのと言うことになり、流れはビールと焼き肉ということになってしまいます。気がつけば二週に1回のペースで網焼きの煙を被ることになりました。ただ、この暑く長い夏を乗りきることができたら、次はウエイトコントロールも心がけねばならないようです。連日の暑さから、これまでになく海辺で涼みながら一服する日が多い夏になりましたが、海上に出る機会が少なく体を動かす機会が少なくなったことを感じています。


障害者就労のマッチング

 何年か前から知人が中心になって準備していた障害者就労支援事業所の立ち上げに関与したこともあり、石川県が主導する高齢者施設を対象とした障害者就労支援事業所とのマッチングに関わることになりました。今年の春から企業に於ける障害者雇用率が引き上げられて精神障害者も雇用の対象になったことから、小規模企業でも自社に相応しい障害者雇用の在り方について関心が高まり、また同時に障害者雇用の難しさを認識された企業も多かったように見受けられます。このマッチングは高齢者施設で障害者を直接に雇用するのではなく、障害者の人たちの就労のお世話をしている障害者就労支援施設に対して高齢者施設が業務を依頼することを前提に、人材が不足している高齢者施設で本来の業務に手中することが難しくなっている介護職員の負担を軽減できることがあれば、障害者就労支援施設のバックアップを受けて障害者が就労する機会の確保とあわせて高齢者施設のサービス向上に結び付くというものです。

 

 小規模企業での障害者雇用というと一般的には身体障害者の雇用をイメージされることが多く、就労先を捜している知的障害・精神障害の方との間でミスマッチが発生することも当然で、実際には雇用にあたって長時間の就労が難しい上に日常的な支援者のサポートが必要となり、更に就労自体が可能になっても通勤の問題が残ります。交通機関が不十分な地方の企業では自家用車での通勤を前提に従業員を採用しており、運転免許を待たない障害者は家族が毎日の送迎をしてくれなければ夫々の人の都合に合わせた企業による送迎を期待するしかありません。それで、課題を抱えたまま直接に雇用するより就労支援施設に清掃やクリーニングなどの業務を依頼して、人手が足りず雑務に追われる介護職員が本来的な業務に携わる時間を少しでも確保しようということです。障害者の人達は各々に出来ること出来ないことが様々で一律の対応が難しいのですが、パソコン操作やIT業務を得意とする人が少なからず存在し、ネットパトロールや給料計算業務・会計入力業務など一般企業にも対応できますし、テレワークやフリーアドレスも兼ねた業務請負も違和感がないようです。この事業による成果の達成に努めることはもちろん、併せて事業に協力いただく事業所にとっても新たなチャンスとなることを期待しています。


出羽沿岸7号線北上南下

 伯父を見舞いに梅雨入り前の秋田まで走りました。子供の頃は東京の伯父さんだったのが、勤務先の会社が成長するにつれて遠くまで転勤して仙台の伯父さんになり、盛岡、そして秋田で定年を迎えてそのままここに居つくことになったようです。実家の兄が亡くなってからも何度か車で石川県まで帰ったことがあり、山中で重機の部品が到着するまで待ち続けた飯場の食事の旨さ、キノコ採りに入った谷の向かい斜面で木に登る熊の大きさ、秋田か岩手で生まれ育ったかのような話を聞かせてもらいました。子供の頃の話を聞いてみると、私の生れた家のすぐ近くの店の油揚が美味くてもう一ぺん食べてみたいとか、石川県では珍しくて売れないホッケが網に入り漁師がすぐ刺身にした味が忘れられないとか、営業マンらしい話がするすると出てきました。何年も実家に顔を出すことがなく便りも途絶え気味だったところ、介護施設のお世話になっているとのことで、日の長い時期に他の用事も束ねて伯父の顔を見に行くことにしました。従弟とも連絡がとれたので施設で落ち合って案内してもらったものの、自力で起き上がるのも難しく話も出来ず残念でしたが、穏やかな様子を見ることができたのはそれで一つの成果と思い街に向かいました。秋田の街中には久保田城址があり睡蓮の浮かぶお堀から山上まで散歩コースになっているそうですが、何故かこの上にある料理旅館の運営を定年後の伯父夫婦が引き受けていて、承継には幾つか条件が付くため今は経営者が不在という寂しい話を聞きました。上がってみると、一年前の紫陽花の花がそのまま残り手入れがされていないとはいえ、緑に囲まれた建物に荒れた印象はなく、何年か前に来ていたなら、きっと季節の山菜をたっぷり食べることができたかも知れません。

 

 帰り道、象潟から鳥海山を雲で隠す7号線を南下して酒田に向かい、土門歯科医院の看板を横目に目指したのは土門拳記念館です。写真家の土門拳が故郷の酒田市に作品を寄贈して開館に至ったそうで、見事に焼き上げられた沢山の写真を見ると期待を超える充実感がありました。まだこんな焼きができる職人さんがいるのかと感心していたら、フィルムも無くなりそうな時代にこれは難しいそうで、土門拳に専属の人達が焼いた写真が残っていることを期待するしかないとのことです。もう一つ残念だったのは、土門と同じ時代を生きた写真家の木村伊兵衛の「秋田おばこ」と題された写真は秋田県の観光キャンペーンにも使われ、お土産物屋さんの壁にピンナップされているのですが、秋田の町には木村伊兵衛の常設の展示はどこにもないようでした。


今年の夏はイタリアントリコロール

 

 梅雨が近づくとコンビニに並ぶ冷やし中華が欲しくなります。本当に冷やし中華が食べたいのか、本当は冷やし中華でビールを飲みたいのか、なぜか分らないのですがエアコンを入れようか迷うような時期、焼き鳥ではなく冷やし中華にビールが合いそうな日があるのです。きっと、梅雨が明けてしまうと夏の風にあたって熱燗とソーメンが欲しくなるのと似た関係があるように思います。しかしこのソーメン、コンビニのソーメンではなく、浅い皿に薄い出汁でサラサラとお替りしたい感じです。ソーメンは麺自体に塩気があるので出汁は薄い方が美味しく、ごちゃごちゃと余計なトッピングもない方がいいようです。昨年の夏に試したのは薄めた出汁にトマトピュレ、今年はオクラもいいかと考えています。オクラは、昨年、花壇に植えてみたのですが、肥料不足か日照不足か或いは水やりが足りなかったのか、なかなか苗が生育しないままナメクジか何かに新芽を食われて花が遅れ、花をつけても実が大きくならずに枯らしてしまいました。アフリカ原産の暑さに強い高温性野菜で、強い日差しと肥料を好み、種子からも簡単に育てられるものの寒いと生育できないそうです。苗が見つからず、種子を売っていたのでこれを買い、グラジオラスの球根が残る花壇を耕して石灰と牛糞を放り込んで下地ができたところで、種子まきの時期としてギリギリだと分りました。暑ければいいということもなさそうで、種子の入っていた袋に多湿を嫌うと書かれていて、本格的な梅雨に入らないうち次の休み前には忘れずに早起きして種子を蒔くことにします。多湿を嫌う一方で、水不足や乾燥は苗の生育に悪く、たっぷりと水やりをするのも大事なことなのだそうです。だんだんと面倒になってきたところで、気になる収穫はまだまだ先のことですが、一日でも採るのが遅れるとサヤが固くなってしまうとのことで毎日こまめに食べなくてはなりません。魚屋にコゾクラが出てくるころまでにはソーメンを用意して、オクラが黄色い花をつけてくれないかと期待しています。


 

サクラチリアカミミガメミドリガメ

 

 いつもより随分と早く散った桜に葉が繁り始め、お天気の割には人が少なく感じる木場潟の周りを歩いてみました。遠く金沢方向から続くクレーンの列が潟の端をかすめて、福井の方に向かう北陸新幹線の工事が進んでいます。晴れた日には車窓から木場潟越しに白山を眺めることのできる絶好のビューポイントになりそうです。工事が完成して潟の水辺から見上げると冬の西風を遮る防風壁のような高架になります。潟の周辺は地盤がゆるく、環境整備工事に際してはいくら杭を打ち込んでも地盤に届かず、潟の周りに遊歩道が浮かんでいる状態だと聞いています。そんなところに大規模な橋脚工事が続くのを見ると土木技術の進歩を感じます。水質の悪化が甚だしい木場潟の環境を整備してちょん髷を結った映画を撮れるようにする考えもあったそうですが、カヌーの聖地を目指して競技施設が設けられ更に新幹線が屏風のような高架の上を通ることになると、時代劇のロケ地としては難しくなってしまいました。

 とはいえ、周囲6km余り時間にして1時間半ほどの周回遊歩道は軽く体を動かすには都合がよく、少し時間が空いたときに気楽に一回りすることができて、往復コースと比べて飽きの来ない風景の中を歩くことができます。先日は風が強く水面に皺が入ったみたいに小さな波がせわしなく寄せていましたが、向かい風でスタートして疲れてから風を背負って歩くと、潟の向こうの水面から渡る風は涼しくもう少し歩こうかという気分になりました。新幹線工事を覘き込んだりまだ伸びない葦の間で休む小鴨を眺めたりしていると、岸辺の草の上で十数匹の亀が首を伸ばして甲羅干しをしていました。子供の頃から馴染みのある亀とはどこかスマートで引き締まった印象のアカミミガメのようです。木場潟の水は外来の亀にとって居心地のいい環境なのか、水がきれいになる前に居場所を確保しているかに見えます。

 


 

いつもとは違う年度の変わり目

 

 年度初めの4月1日、今年は日曜日からのスタートです。このため、実質的に人が活動を始めるのは月曜日の4月2日になることが多いようです。私どもの事務所も1日の日曜日は休みを頂き2日から通常どおりの業務になります。とはいえ、仕事柄、このシーズンは入社式や新人研修などの人事イベントが多く行われる時期で、私も入社オリエンテーション研修からの新年度業務開始です。研修講師を業務とするものではないので、連日の研修で走り回るほどの日程ではありませんが、例年、3月中旬から4月中旬にかけては新入社員研修で事務所を空ける日が何日かあります。ただ、今年の年度初め、いつもの年と少し違うことがあります。ひとつは一年ほど前から設立にかかわっていたNPO法人の障がい者就労支援事業がオープンして活動を開始すること、もう一つは社会保険労務士資格を持った新スタッフを事務所に迎え入れることです。たまたまかも知れませんが、新スタッフは社会保険労務士資格を有するだけでなく介護施設や障がい者施設での勤務も経験している人物です。事務所として特定の業界にだけ特化したサポートを展開するつもりはありませんが、この分野ではこれまで以上に細やかな支援ができることと思われますし、それ以外の分野においても新たな視点からフレッシュなアドバイスをお届けできることと考えています。これまでも、社会保険労務士事務所として、労務管理・社会保険の専門性を高めることと併せて、企業の経営・管理という面から考えた常識的な一般性を見失わないことも大切なこととだと考えて業務に取り組んできました。その意味で、全人生が労務管理一筋のエリートではなく、行政の裏を知り尽くしたOBでもなく、それぞれの仕事を通じて色々な人達との付き合いで身につけた素人的な感覚を大切にしつつ、業務の経験を重ねる中で得ることのできる専門性を研ぎ澄まして、しなやかで幅広い感性を持った「気づき」のある事務所として、新しい年度を新しい体制をもって業務に取り組みたいと考えています。

 


 

キーワードはキャリア構築

 

 今の事務所に引っ越すまで継続的に開催していて、ここ何年か休講状態の労働社会保険セミナーですが、先輩である新聞社の方からお誘いをいただいて再開を検討しています。休講中もたまに受講を希望する相談を受けていて、顧問先の方には時間を決めて事務所で定期的にレクチャーをしたり、依頼があれば出張セミナーを引き受けたりもしていました。ただ、個別対応しながら継続するのはなかなか難しく、この機会に定期的に開催する「講座」という意識で企画しようかと考えています。新聞社がらみのお誘いということもあって、実務一辺倒では面白みに欠けるので、報道で話題にされることの多い「働きかた改革」を基盤に据えつつ、社会保険労務士として現行の制度面・実務面を把握しながら改革の方向と対応を探ることになります。実務家の講座と心得て政策自体や行政とは一線を画し、マスコミ的・評論家的な立場とも異なる位置からの話ができるものにしたいと思っています。具体的な内容になるとこれからの組み立てですが、昨年の春に出された“働き方改革実行計画”には処遇改善(同一労働同一賃金)と制約克服(ワークライフバランス)とキャリア構築(女性若者高齢者の活躍)が掲げられ、その他のキーワードとして「非正規雇用」「臨時パート嘱託」「労働契約」「無期転換」「雇い止め」「均等処遇」「就業規則」「生産性向上」「キャリアアップ」「評価制度」「賃金制度」「長時間労働」「三六協定」「上限規制」「インターバル」「パワハラ」「循環器疾患」「メンタルヘルス」「産業医」「労災保険」「民事責任」「テレワーク」「副業兼業」「病気治療と仕事」「育児介護と仕事」「健康保険」「遺族年金」「障害者就労」「障害年金」「人材育成」「リカレント教育」「雇用保険」「雇用給付金」「雇用助成金」「高齢者雇用」「老齢年金」などなど、タテよこナナメに絡み合うように挙がってきます。全てを一人で担当しようとすると負担が大きいので、できれば何人かの講師が分担するような方法で、受講者の方も一緒に考えてもらえるワークショップ形式を目指して、3~4か月ほどの期間を1クールとして開講できないかと検討しています。最後に残る問題は、受講者の方に参加して頂ける料金設定をどうするかという点です。これは、会場や募集などの費用を負担したうえで、講師の方に納得できる謝金をお支払いできるかということにもなります。

 


 

雪が融けたら何かしようか

 

 雷鳴もなく始まった週末の降雪は思いのほか長時間にわたって続き、事務所の近くに契約している月極駐車場は大雪原となっていました。新雪の駐車場へ四駆に切り替えた車で思いきり突っ込むと、ドリフト気味に横へ流れて勢いが落ちたくらいのタイミングでいつもの駐車スペース辺りに辿り着きました。他に車は無く地表のラインも番号も雪に埋もれて見えないので、大雑把に見当を付けて雪の中に停めました。除雪されていない駐車場に一台だけ止めたことが目立ったようですが、それより、ちゃんと自分の駐車位置に一発で入れたことの方を褒めて欲しい気分でした。降り続く雪と除雪の山で翌週の週明けにはバンパーの高さを超す積雪になり、いつもの駐車場は諦めて「空」表示のコインパーキングを目指しましたものの雪で入庫できる状態でなく空きになっているだけでした。他の人達の車はどうしたのか、この週末までずっと除雪しないままのスペースが目立ったのは、自動車通勤からバスか何かほかの手段に切り替えたのか、乗り合わせているのか休みを取っているのか、多くの人は一週間ぐらいなら除雪を凌ぐ対応策を持っていることに不思議な気がする雪の駐車場でした。

 

 雪で身動きが取れなくなると、雪が解けたら…、という思いを巡らせてしまいます。出来ないことは諦めて気持ちを落ち着け、春になったら何をしようかと考えると、これまで思いついては忘れてしまったようなことが多くあって、ちゃんと取り組んでみようかと思います。その一つが、労働社会保険や人事労務管理についての講座を少人数でのワークショップ的なアプローチで開講してみたいということです。これまでもセミナー開催についての希望は寄せられていて、実際に時間を決めて会場を借りて講師を手配しても、受講者が集まるのかというとそれぞれの都合があってうまくいかないという結果でした。それなら、初めから少人数で企画すれば無理な集客や過大な費用負担も軽減され、講師も対応がし易いだろうという考えです。受講の希望があることが大前提ですが、この春の一つの企画として実現したいと思います。

 


災害・事故・テロへの備え

 

 昨年の秋、研究会の席でパンデミックについて話を聞く機会がありました。続いて、年末には国民保護法についての話を聞くことができました。地震や津波あるいは豪雨や洪水などの自然災害、そして大規模な火災や海難事故、さらには武力攻撃や大規模テロから身を守るため、ひとり一人がどのように行動し企業や団体がどのような協力を期待されているのか、思いのほか準備が進んでいることが分りました。日本海に面した地域に暮らす者として、西を眺めると航空自衛隊小松基地、福井石油備蓄基地、美浜・大飯・高浜・敦賀などの原子力発電所、海上自衛隊舞鶴基地など、対岸からのミサイル攻撃の標的になって欲しくない施設が連なっています。弾道ミサイルが発射された際には「Jアラート」により携帯電話会社からの緊急速報メールと地方公共団体からの防災行政無線の音声で伝達され、「エムネット」により放送事業者等に発射と避難についての情報が流されるそうです。僅かの時間で落下する可能性があり、まずは、速やかな避難行動が求められます。Jアラートが作動したら、屋外にいる場合は近くの建物の中か地下に避難、建物がなければ物陰に身を隠すか地面に伏せ頭部を守る、屋内なら窓から離れるか窓のない部屋に移動する、というのがマニュアルです。近くに着弾したら、口と鼻をハンカチで覆い風上へ移動するとか換気扇を止めて室内を密閉するとか、普段から意識を高めておかないと対応を思いつかないようなこともありました。このような事態に対処し住民の生命・財産を守る仕組として平成16年には国民保護法が施行され、避難情報伝達・救援資材提供・災害救助など住民避難訓練も実施されているということでした。武力攻撃などに対処し侵害を排除することは自衛隊の活動ですが、武力攻撃等により発生した事象への対処が国民保護の対象であり、自然災害等を想定した市町村による自治としての防災上の避難勧告・指示に対し、更なる警戒を要する悪意ある相手からの武力攻撃を対象に国が主体となって避難・救援に対応するのが国民保護の領域であり、救援・救助など国民保護の実施に協力を要請されたときに「国民は必要な協力をするよう努める」とされています。

 


ネオンの荒野は近未来


 久し振りに雨が続き、会合のあと家に帰ってゴロゴロと時間を費やし、テレビを見ながらチャンネルサーフィンで夜が更けてしまいました。だらだらとケーブルテレビの番組を見流していて、何気なく手が止まってしまったのが延々と6時間近い放映「あゝ、荒野」でした。近未来ともいえる時代設定は震災の記憶を留めるオリンピック後の東京、土地の磁場なのか時代の空気なのか、60年代後半の新宿とシンクロさせながらタイムスリップさせられます。介護と自殺が溢れる2020年代前半、ネオンの荒野に広がる空白と彷徨、この先の日本にまだ存在しうるのかと思うと原作の寺山修司の世界に引き込まれたことに気がつきます。脚本も手掛ける岸善幸監督の仕業なのか、キャスティングされた菅田将暉とヤン・イクチュンの演技力か、母や片目やチンパやインポが絡み夜が更けるにつれ寺山ワールドに魅入りました。画面が進行するにつれどんどんと逞しく二人のボクサーの身体が出来上がり、スパーリングにスピードが出てくるのがドキュメンタリーのように見え、あとで気がついたのが「バリカン」ヤン・イクチュンがちゃんと手動バリカンで髪を切るシーンが当たり前に何度も現れるのも面白いところです。このヤン・イクチュンが主演し自ら監督も務めたという韓国映画「息もできない」も放映されていて、女子高生とチンピラ金融が強がりながら触れ合う場面を続けて見ると、場所を隔てていてもそれぞれが共鳴する荒野を抱えているように感じます。森山大道の初の写真集「にっぽん劇場写真帖」は寺山に誘われて撮り始めたそうで、半世紀を経たいまは伝説的な写真集となっています。ただ、写真集「あゝ、荒野」を映画のガイドブックと間違えるとがっかりするかも知れません。