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石川中央労務研究所

「ヒト」を通じて企業を元気に!


 

ソフトウエアとしての仮想通貨

 

 IT技術の進化は留まることなく、人材ビジネスの世界ではHRtechと言われる領域で、人材育成やキャリア支援などに拡大しているようです。HRtechとは、「Human Resource(人事)」+「Technology(技術)」の造語で、従来の人事労務管理領域に最先端のテクノロジーを活用して、より便利で付加価値の高いサービスが登場する市場ができているということです。「テクノロジーによる雇用の破壊」は着実に進んでいますが、日本では「ガラパゴス状態」であって、“ワークシフト”と言われるように、我々の仕事はテクノロジーやグローバリズムで置き換えられる流れの中にあり、「日本で生まれ育っていないと身につけづらい特殊性」と「日本市場におけるプロフェッショナルとしての業務経験」が今後はより一層必要とされることになります。金融の領域でも、ICTを活用することによって、「安く・早く・便利」に変えていこうとする動きが活発化しています。いまさら何かとは聞けなくなった感じのするFintechですが、金融を意味する「ファイナンス(Finance)」と、技術を意味する「テクノロジー(Technology)」を組み合わせた造語で、概ね「ICTを駆使した革新的あるいは破壊的な金融商品・サービスの潮流」といったくらいの意味で使われるそうです。決済サービスのフィンテックとしては、「スクエア(Square)」や「ペイパル(PayPal)」があり、ペイパルはアカウントを有する事業者に融資サービスも開始しているということです。Fintechは融資・預金・送金・決済・資産運用のほか経理・会計・銀行、果ては仮想通貨など多岐にわたる金融サービスのほとんどの領域に拡大し、将来的には既存の概念を超えた新たな分野も登場する可能性もあるとされています。海外では現金よりもクレジットカードでの支払いが歓迎されるということをよく聞きますが、偽札をつかむリスクとは別に現金が消えていく流れは確かにあるようで、送金コストの安い仮想通貨が決済インフラとして認知され世界中で使える代替通貨として投資対象になるのもわかる気がします。

 


ひと一人は大切なり

 

 ここ何年か、増員補充などで従業員を募集しても、期待とかけ離れた人が応募してくるなど、採用求人が思うように進まず課題を抱える企業が多くなりました。数年前までは、人を減らし給料を下げて人件費を抑えることが企業として存続するための条件であるかのように説く金融機関やコンサルタントが多くいたことを思うと、その結果が今になって顕われたかのような気もします。今となっては仕方のないことだったかも知れませんが、幾らでも人の補充が効くことを前提に、企業は必要な時に必要な能力を持つ人を必要なだけ充当することができて、そのために必要な能力は企業ではなく求職者自らの責任で習得することが当然という考えです。いわゆる非正規とされる、臨時・パート・派遣など、今でも簡単に採用できるつもりでいる事業主の方がまだいますが、事務職以外では自社に相応しい人を見つけるのに随分と苦労することが多いようです。もともとの古典的な意味での派遣社員は自己啓発の意欲も旺盛で非常にレベルが高く落ち着くところに落ち着いているはずですし、臨時で有期雇用の更新を繰り返していたような人達は雇用の不安定さと将来への不安感から賃金水準の高さよりも雇用の安定とキャリアの継続を望んだように見えます。パートは自らはフルタイム勤務を望みながら短時間勤務に妥協している人がいる一方で、ライフステージの中で時間が必要な時期の人も確かに存在しており、背景まで考えると複雑になります。パートは期待される年代の人達が思い通りには集まらないようです。国の施策から育児休業や短時間勤務を利用する人が増えてきて、当然ながら、この十年ほどのうちに出産や育児を理由に離職する女性の数が減り、パートの労働力市場に出てくる人が少なくなってきたと感じています。こんな中で、上手な採用も勿論ですが、いま在る人の成長と継続を確かなものにすることが大切になってきました。仕事をするのは人であり、人を大切にして、人とともに成長する企業風土を培うことは、時間を掛けてでも取り組む価値があると認める企業が増えてきました。人づくりに関わる者として大きな課題が与えられたと思っています。

 


NPO法人による施設運営に向けて 

 かつて、会社は別でしたが、同じビルで働き同じ電車で通勤していた知人が障害者の授産施設を立ち上げようとしています。長い間ずっと会うことがなく、お互いに退職したことも、小松で仕事をしていることも知らずにいました。当時の通勤仲間というのか、このビルで一緒に仕事をしていた別の仲間から突然に電話があり、相談にのって先の構想を聞いてもらえないかという話から久し振りに顔をあわせることになりました。そこで聞いたのが、彼は障害者施設で働いていて、施設を利用している障害者の人たちがこれから先も長く安心して働き利用できるようにしたいとの考えでした。障害者の自立やノーマライゼーションという理念の拡がりとともに、働く意欲と能力のある障害者がもっと働ける仕組みをつくり、利用者に公平な負担を求めて財政負担を軽減しようとする社会の大きな流れを感じているようです。これに対し、これから目指す暮らしとは、必ずしも明確に気持ちを表現する訳ではない障害者の言葉にきちんと耳を傾けその願いを聴き留めて、制度の変化に振り回されることない落ち着いた生活です。障害者ひとり一人の家族にとっては自分が居なくなったとしても心配のない暮らしです。さて、このような施設は社会福祉法人によって運営されるものだと考えていましたが、実はNPO法人で運営することも可能なのだそうです。授産施設として活動するには県から一定の設備や管理者などについて確認を受けないと認定されませんが、広大な不動産の所有を条件にしたり、高額な資金の流動性を条件にしたり、制限を受けるものではないということです。また、NPO法人自体の設立は任意のものであり、多少の人的な要件を別にすれば一般の法人設立と比べても特別に問題が発生するようなところはありません。ただ、融資を受けようとすると、非営利を目的とする団体が返済の資金をどこから捻出するかを問題にされるのか、融資や相談の窓口が少なく、自己資金を充実できない新規設立NPOが外部から資金を調達するのはなかなか難しいことを知りました。本格的な始動までにはもう少し時間がありますが、この準備期間のうちに解決するべき課題はまだまだ多く出てきそうです。

 


極東のイスラエル

  LGBTを扱うのかと思いページを開くと関東軍参謀の辻政信が登場します。梅雨明けを待ちながらセット買いを一気読みの安彦良和「虹色のトロツキー」。南加賀にいて辻政信という名に否定的な想いはありませんが、ここでは異様な性格の狂言廻しを引き受けています。石原莞爾が構想し辻も創設にかかわった満州新京の建国大学は日系・満系・鮮系・蒙系・露系の協和を謳い、アジアの志士を孵化させるべくここにユダヤ人トロツキーを招聘する目論見があったというのです。そして、スターリンに追われ極東に現れたトロツキーは本人だったのか偽者だったのか、真相を追う日蒙混血の主人公ウンボルトの役回りにはここも面白いところながら、話は満州国警備軍司令官ウルジン将軍を配するモンゴル国境ノモンハンへと展開します。辻は日中戦争を阻止回避して反共勢力をまとめ増員した満蒙の部隊でソ連を相手にしようと挑発、機械化され性能的にも物量的にも上回るソ連正規軍に完敗、ノモンハン「事件」と名付けられているものです。戦線の両翼を担う騎馬軍団は味方との通信を奪われ、連絡将校として騎馬で前線を通過する主人公は「他にどこか行くところがあるか」と覚悟を決め、辻は「今!世界の中心はここだ!百万の命も惜しまんぞ」と王道楽土の成就を叫びます。

極東のトロツキーを巡って展開するストーリーにリアリティーを感じさせるのが安江仙弘大佐の登場です。レーニン(ウリヤーノフ)もトロツキー(ブロンシュタイン)もカーメネフ(ローゼンフェルト)もユダヤ名を持ちユダヤの陰謀と揶揄されたロシア革命も、スターリンの時代にはユダヤ=ブルジョアとしてユダヤ人が粛清の標的となりユダヤ教は反宗教闘争の対象として排斥を受け、ナチスの迫害を逃れてシベリア鉄道で満州ハルビンに辿り着くユダヤ人が激増するにつれ、その扱いは反共反ユダヤとはニュアンスが変わりつつあったようです。安江は「建国の本義である八紘一宇の精神を宣揚すべき」と説いて彼らの入国を認めさせたのです。これを支持したのが昭和20年停戦後も千島列島占冠島の部隊を率いてソ連軍との戦闘を続けた樋口季一郎中将であり、ドイツからの抗議に拘わらず東条英機参謀からも入国の了解を得ています。一方、満州にユダヤ自治国家を作るという「フグ計画」なるものが存在し、満州国の開発にユダヤの資金を投入しつつソ連を抑え込んでアメリカとの全面対立を回避するというプランであり、ここに安江が加わっていたのです。計画が成就していたなら、大規模な日米戦争には至らず、満州の地にもう一つか二つソ連か北鮮のような幻の国ができたのかもしれません。

 


津波が来ない朝の海岸清掃

  夏至を越して日の出が少し遅れ始めた休日、久し振りに早起きして白山市の海岸清掃に参加しました。梅雨空の下、半そで半ズボンでは無防備かと考えて、ゴム長と合羽に軍手と帽子の重装備で出かけたのは一応の正解でしたが、海は凪いで風がやみ、朝とはいえ少し動くと蒸し汗が浮くようになるとメガネがすべって下を向いて作業するには具合の悪い状態になりました。時間が経つうちに海から風が入って気温も少し下がり、もう少し続けてもいいかなと思う頃には腹も空いていい時間になっていました。この日、いつもと比べて海岸には空き缶やペットボトルなど人工物は少なめで、荒れた後なのか潮のせいなのか沢山の重たい藻が砂に埋まっているのが目立ちました。とても拾える量ではないとプラスチックなど土に還りそうもないものから集め始めたのですが、期待以上の人数で、手当たり次第に拾い集めると大きな流木のほかは海藻も何も残さず足跡で埋め尽くされた綺麗な砂浜になりました。海洋センターそばの駐車場を見ると大型バスが何台か停まっていて、揃いのシャツや雨具で乗り降りしているのは、近隣の企業や大学・高校の皆さんのようでした。海岸の近くで暮らしている自分達よりずっと早くから準備して参加された人たちです。ナホトカ重油漂着事件から20年が経ちますが、荒れた寒い時期に、沢山の人がボランティアで参加されていたことを思い出します。これからも色々な人たちが様々の立場でこの海に来て海岸を見守ってくれることを期待しながら、この日は清掃が終わり綺麗になった海岸からビーチスタートの小型ヨットを出してクラブレースが始まりました。本来なら2週間前に開催の市民体育大会が前日の強風のため波が残って中止になったための再レースです。出艇を見送って帰宅するつもりで渚まで歩いて、ちょっと足を濡らすくらいでいたのが膝上まで浸かってしまい、汗と潮を流してお昼からリスタートの休日でした。後で分ったのですが、清掃中に長野県で地震が発生して、輪島でも震度4と発表されていました。揺れも感じず津波の危険もなく、防災の話を聞かせてもらった翌日だっただけに、危機管理・自己管理の難しさを感じています。


避暑地の小女子

  仕事に出るのに少し大回りして美川漁港に近くを通ると、道沿いに「美川シラス」の幟が立っていました。シラスの文字を見ながら思い浮かべているのはコウナゴで、もしかしたらスベリを湯に通すのかとも考えましたがそうではなく、ここ何年か、初夏になるとここでシラスの漁をして販売を始めたようです。シラスがジャコになりコウナゴからカマスになるのかと、とんでもない思い違いをしていた私も最近ようやく全てが別物であると分り、シラスはイワシの稚魚で、ジャコは雑魚の稚魚、コウナゴはイカナゴの稚魚、カマスはちゃんとしたカマスと理解しました。厄介なのは、地域によりコウナゴは呼び名が異なり、瀬戸内では稚魚はシンコとかイカナゴ(玉筋魚)とかで成魚をカマスゴとも呼ぶようです。ネットで見たら、カマスゴはカマスの稚魚ではなくイカナゴの稚魚で成魚はフルセとも呼ぶと記されています。さらに、コウナゴと呼ぶのは関東の呼び名でイカナゴが成魚で小女子が稚魚、東北や北海道に行くと成魚はメロウドとかオオナゴとかになるそうで、関西に近い越前や南加賀で関東の呼び名が通っているのが不思議です。いま急に呼び名を変えた訳でもなく、蓮如上人が北潟に投げ入れた紙こよりからコウナゴを生じたという吉崎の七不思議でも「小女子」と伝わっているようです。このコウナゴというのは砂地の海底に潜って夏を過ごすとか、今年は吉崎に近くまだ防砂林も残る塩屋の港に揚がった小女子を食べることができました。水温の高い瀬戸内では春にイカナゴの釘煮ということになるようですが、こちらでは風も温まる5月頃が時期で醤油とちょっと高級な日本酒で火を通して汁を残しています。僅かの量でもご飯は食べ過ぎお酒は飲み過ぎ、連休の時期に家で初夏の時間を過ごすには気軽な楽しみの一つです。折角なので美川シラス、湯で洗って酢でしょうか、酒の好きな父がハマボウフを摘んでいたことを思いながら、父親の祥月に気がつきました。


今しかない自分の仕事

  入社式シーズンの朝には黒いリクルートスーツが異様に存在感を示していた小松駅周辺ですが、いつの間にか彼らの存在が目立たず周囲の風景に溶け込んでしまったようです。少し前にはまだ就職氷河期と言われていたのに、気がつけばとんでもない売り手市場に様変わりしてしまい、小規模企業が新卒採用するのは至難の業とでもいうべき時代になってきました。労働力人口の減少は早くから予測され分かり切ったことでありながら、ワーキングプア問題などが解決されないまま、需給のミスマッチで労働市場から溢れたまま何となく人が余っているような気がして現状を受け入れられない気分が残っています。私の目に入ったリクルートスーツの若者たちの多くはコマツの新入社員なのでしょうが、市内では卒業・入学シーズンに合わせたイオン新店舗のオープンスタッフはどこも時給1,000円を軽く超える募集をしても充足できず、東京オリンピックに向けた観光バスの受注が好調というジェイバス小松工場では人材派遣会社が他社からの依頼を受けられないほどの事態になっているそうです。バブル期を水面下で過ごした人間にとって仕事に貴賤はなく、簡単に就職できたからといって仕事を軽くあしらったり下請け先を見下したりして欲しくはありませんし、せっかく就職した会社やその仕事を選びとった自分自身を大切にしてほしいと思っています。企業の側では、自社を選び自社が採用した人材、自社にいま現在まさに働いている人材を大切にし育成することに取り組んでいることが感じられます。ここ何年か、私たちが企画する新入社員研修や若年者研修では色々な意味で「長くはたらく」ことを強調してきました。国の施策として60歳定年から再雇用は65歳まで、さらに70歳を目指した雇用を期待しており、新卒から50年に亘って働くことが求められています。そのために職業人としてキャリアを磨くことを訴え、今ある自分を大切にして、今しかない自分を生き、仕事を通して成長したというにはせめて3年は一つの仕事に取り組むべきことを訴えています。「ポケモンGO型」と名付けられたという今年の新入社員ですが、早々に飽きて離職することなく、落ち着いて仕事に取り組んで欲しいところです。


6秒で人生を変えるアンガマネジメント

“6秒で人生が変わる”というのがアンガーマネジメントのキャッチコピーでした。入門講座で教わったのは、怒りのピークは6秒しか続かないので、この6秒をやりすごすと怒りをやわらげることができるということでした。これが「怒りの6秒ルール」といわれるアンガーマネジメントのノウハウのひとつです。「怒り」は、もともとは、動物が自分の身の危険を感じたときに感じるもので、生死にかかわる行動を起こさせる根源的・原始的な重要な感情であって、衝動をコントロールして自分が怒っていることを上手に表現する必要があり、アンガーマネジメントによって「怒るな・我慢しろ」ということではないのだそうです。自分の怒りに気づき怒りの感情によってどのような言動をするのかということが一番の問題で、アンガー(イライラ、怒りの感情)をマネジメント(どうしようもない自分の怒りと後悔しないように付き合う)することで、「怒り」の上手な表現方法・対処方法を身に着けて怒りのエネルギーをもっとボジティブに使おうというのがねらいになります。アンガーマネジメントは1970年代の米国刑務所における一つの学びとしてプログラムに採用され、今は社員研修として取り入れられ、スポーツ選手や政治家・子供たちまで幅広い人々が学んでいるそうです。アンガーマネジメントには3つのポイントがあって、一つは衝動の「6秒ルール」、そして思考の「べきギャップ」と行動の「受容分岐」です。怒りの正体は自分の願望や欲求である「べき」であるとされ、「こうあるべきだ」という信念が否定されたと感じてそのギャップが誰か何かに向けられると怒りになるので、怒りの原因を冷静に相手に伝えることができれば人間関係を発展させることができて、自分の思考とは違う周囲の「べき」の境界を理解しておくと相手の怒りが理解できるということになります。そして「受容の選択肢」、怒ること行動することで状況を変えられるならばコントロールすべきですが、変えられないことや、コントロールできないことや、重要でないことはほっておいていいということです。怒りは、身近な対象に対して強度(激昂)・持続(根に持つ)・頻度(イライラ)・攻撃性(傷つけ壊す)高く顕れ、矛先を固定できず伝染しやすい性質を持つもので、他人を傷つけず、自分を傷つけず、モノを壊さず、自分が怒っていることを上手に表現するのは、職場でも家庭でも人間関係を維持するには大事なことです。できることとできないことを選別してできることは努力する、できないことはそれを受け入れる勇気を持つということでしたが、他人を替えることは難しく自分を変えることが近道のようです。 


冬のエアコン大修理

 昨年の暮から一月近くかけて、事務所の駐車場が融雪装置の工事に入りました。これまでもゴムホース状の融雪はあったのですが、舗装のアスファルトを全部まくり上げて再舗装してから切り込んだところに融雪用の配管を埋め込んで、年末には本格的な融雪の設備が出来上がりました。これまでだとホースから思わぬ方向に水が吹き上げてきてコートを濡らしたり時には靴の中に飛び込んだりしましたが、今は除雪の心配をすることもなく気持ちよく出勤できる状態になっています。実は、融雪装置の稼働を楽しみにしている様なところもあったのですが、活躍するほど雪が積もることが少なくこの効果を検証するのは来季になってしまいそうです。ところで、この冬は大寒を過ぎても氷点下になる日がほとんどなく、雪が積もるどころかミゾレか雨ぐらいしか降らないままに過ごしていて気が緩んだのか、正月明けに久し振りに動かした事務所のエアコンが故障してしまい冷たい風しか出なくなりました。さすがに、氷点下ではなくても指先が冷えては仕事にならず、空調設備の業者の方に点検してもらったところ、室外機の基盤の取替が必要になるとのことでした。ただ、この修理には大きな問題があって、屋外作業のため晴れた日が続くときでないと部品が濡れてしまい故障の原因になるのだそうです。積雪は少なくても北陸の冬に晴れた日が続くことなど滅多になく、気流の乱れた空に雲が切れて日が射し込むぐらいでは修理ができず、久し振りに晴れたと思って電話しても先約があって順番待ちだと後に回されてしまいました。どうしようもないので、自宅で使っていた灯油ファンヒーターを持ちこんでフル稼働させ、これだけだと上ばかり温まるので扇風機を使って空気をかき混ぜることで何とか持ちこたえました。エアコンは修理が終わり、ファンヒーターも我が家に戻って一休みというところです。事務所の窓越しに見る南の空はもう春ですが、陽射しに誘われて外に出てしまうとまだまだ風は冷たく、もう一月余りは暖房に頼る日が続きます。


生きるリスクと言われること

 雪の積もる季節になると積雪路の凍結による転倒事故の報告が届きます。通勤の途中の事故だと通勤災害として労災保険で治療することが多く、注意を促されても事故はなかなか減る様子がありません。雪国に暮らしながら雪道を歩けないのは不思議なのですが、高齢化のせいなのか慣れた雪道でも従来は心配のないところを油断すると簡単に転倒し、打ち身で済む様なところを骨折してしまい、半月で動けるつもりが半年ほど入院する様な、まさかと思うことが当たり前に起きています。今の医療の水準では、きちんと治療すれば復帰できるのは当然なのですが、怪我だけでなく大きな病気からの職場復帰も社会的な課題になっています。

昔なら生きているだけでも運が良かったと言われる癌のような病気でも、医療技術と健康保険の充実により、退院して治療を続けながら生活できるレベルまで回復するようになっています。ただ、会社や同僚への遠慮と治療に専念する気持ちもあって早々に離職してしま人も多く、費用の嵩む長期の治療を続けながらハンディ付きの求職活動をしても就職は困難で、病気は克服できてもその先に「生きるリスク」が続くということです。そこで言われるのが“治療と職業生活の両立”ということで、「不治の病」の多くが「長く付き合う病気」に変化していることを理解したうえ、個々の就労のために就業上の措置を講じて治療に対する配慮を行うことを健康確保対策と位置付けて、この環境整備の取組がガイドラインとして厚生労働省から示されています。産業保健センターで促進委員をしている社会保険労務士の方の話によると、病気そのものや職場復帰について本人も会社も理解していなことから「退職」という選択に至ることが多く、まず両立支援についての周知と啓発が求められるようです。そして、実際に就労を考えるにあたって困るのは、先の見通しが分らないため労使共にどうしていいか分らないということ、従業員は病気再発の不安を抱え事業主は病者の就労に責任を感じるということだそうです。そのため、この取組について本人からの申出を前提に会社がフォローする仕組とし、個人情報保護を明確にして本人の仕事の情報を主治医に提供したうえ就業上で必要な措置等に関する意見をもらい、会社は産業医の意見も聞きながら復帰の可否を含めた就業上の措置を決定し実施することになります。このとき、会社として難しいのは、主治医が治療の対象となる患者としてしか本人を見ておらず、ほとんど病院よりほか職場を知るはずのない主治医に対して意見をもらうことができる程度に具体的な仕事の情報を提供するということがあります。まだ始まって間もない取組で、ワークライフバランスあるいは雇用のダイバシティということにもなりますが、従業員本人にとっては仕事の継続と収入の確保、会社事業主にとっては人材確保とモチベーション向上、医療機関にとっては治療の継続と支払能力の向上、そして社会的には就業により社会とつながり活躍する人が増えることに意義を見出されています。