暖冬のカモとカモシカ

 家に篭るには落ち着かず、少し時間ができると外が気になる陽気です。道に雪が少なく車で出掛けるにも不安のない冬でした。スキーシーズンの二月中旬、白山麓に入っても雪が少なく、自宅からスキー場まで無雪道路を走り、その奥に車を停めて白山自然保護センターのブナオ山観察舎まで歩きました。例年なら積雪期でどこにも食べ物が無い時期に、観察者から谷を越えて対岸のブナオ山の斜面には雪崩の跡に土が顔を出し、サルやカモシカなどが餌を求めて集まるところを望遠鏡で眺めるという仕掛けです。ところが、積雪が少ないと他の場所でも餌が見つかるので動物達が対岸の斜面に集まる必要がなく、この日に顔を出したのは大きな顔のカモシカ一頭と背中を向けて動かないタカ一羽でした。こんなことも想定したのか「かんじきハイク」なる企画も準備されており、観察舎周辺で雪の上を散歩し冬の自然を観察する手軽なかんじき体験コースがあるそうですお昼も近く、歩くにはパワー不足と思い、帰り道に温泉もある「白山百膳」のお店で蕎麦を食べて落ち着きました。

 雪が少なくて勝手が違うのは山麓だけではありません。水鳥たちにも餌の心配は無かったようです。普段の冬なら池面いっぱいに多くの水鳥がひしめいている片野の鴨池も様子が違いました。加賀市鴨池観察館からは、池の奥にカモが何百かと岸辺に数十の片足あげたヒシクイが見えるだけで、池の中央はいつもより広々としています。早くに北へ帰ったのか近くの餌場に向かったのか、指導員の人達も手持ち無沙汰で「こんな日もあるんです」という解説がありました。十分に人の手をかけながらラムサール条約登録湿地となった鴨池は、周囲の森林の伐採を禁じ冬季に池への立ち入りを禁じ坂網猟以外の銃猟を禁じて守られてきたそうです。坂網で獲った鴨は大聖寺の町で料理になるということですが、なかなか口にする機会がありません。

マイナンバー未到達

 雪のない冬でしたが、一月の後半になってやっと少し冬らしくなりました。ブリは揚がらず、野菜は太り過ぎ、ここへ来て雪が降り食品が割高な感じがします。海沿いにはもう積雪はないものの、重い空の下で雪に山が白く輝くこの時期に、わざわざ山間地に入るのは躊躇います。実際は、ついでに立ち寄るには遠すぎるというのが本当の理由なのですが、母親のマイナンバー通知を受け取ることができなくなってしまいました。母親は一人暮らしで介護施設のお世話になっているため、平日の日中に書留便で送付されても不在のため配達されず、この場合には家の近くの郵便局ではなく隣の市の郵便局で渡すとのこと。私が受け取りに行くと、母親の住所地と私の住所地と職場の所在地と全てが別の市町村のため、本人が来るか本人と同居のものが来るのでなければ、マイナンバー通知受取の代理人として委任状が必要と言われて引き返しました。委任状を作って母親にサインをしてもらって、もう一度、引き渡しを断られた郵便局へ行くと、今度は、全て自筆の委任状でなくては認めないと引き渡しを拒絶。この時点で、中途半端に本人のサインなどもらわずに、全てを代筆すれば筆跡が同じなので郵便局員からクレームを出されることは無かった筈だと言われました。しかし、虚偽の委任状を作成するのは後ろめたく、委任状を書き直してもらう時間も無いままに預かり期限が過ぎて通知書は市役所に返送されました。そして、市役所での受け取りはもっと難しく、地元のサービス窓口では渡せないので本庁舎まで出頭しろとのことです。これが山の奥、仕事のついでに立ち寄ることができず、海辺しか知らない者にとっては本当に山の奥の更に先、冬なので熊が出ないことは分っていても、雪の日に仕事を終えて閉庁時間に遅れないよう凍てついた夜の道を自宅と反対の方向に走る気にはなりません。電話で市役所に相談すると、委任状や本人確認証明を送ることで送付先を指定できるということだったので、事務所宛に送ってもらえばいいだろうと思い母親に委任状を頼むと、今度は住所欄に堂々と合併前の市町村名を書いてしまいました。何かの意思表示をしているみたいです。

住み終えた家の始末

 住宅について聞いたり考えたりする機会が多くなりました。新しく住宅を建てるというよりも、今ある住宅をどうやって長く使い続けるかということに話題の中心があります。高齢化社会という時代環境のなかで、数だけだと住宅は余ってきて、住む人のいない住宅は空家対策として行政からも大きな問題になってきています。自分の生まれ育った家を空き家というのは忍びないのですが、実家に一人で住んでいた母がグループホームに入居してしまうとそこで生活する者は誰も居なくなり、月に何度か様子を見に帰る程度では実質的に空き家とされても仕方ありません。長く住んだ家なので近隣の方の多くからはお世話をしてもらえても、中には知らぬ間に非道をはたらく族も現れます。住み終わった後の住宅の始末を考えることも大切なことだと分りました。長生きした分だけ耐用年数を超えていて傷みも多く、古い家の修理は何処から手をつけていいか分らず、この先いつまで使うかも見通せない建物をどこまで手を入れるべきか迷います。実家とはいえ自分の家でもないのに勝手なこともできませんので、母が帰ることのできる場所として暫く維持していくしかないと思っています。

 住宅を長く使い続けるには早めのメンテナンスが欠かせないそうです。そして、住宅のメンテナンスにはそれなりの費用が必要なのですが、その道の専門家といわれるファイナンシャルプランナーに相談しても、新築やローン返済は人生のイベントとして認識されているのに住宅メンテナンスは考えに入らないことのようです。メンテナンスを怠ると後になって大きな費用が発生することを避けられず、収入が限定的になる高齢期に突然の修繕が必要になると、ここから老後貧乏・下流老人への道が開かれないとも限りません。通常に必要とされる住宅のメンテナンスは水周りと外装と基礎の三点で、これに加えて長く住み続けるためには介護などを前提にライフスタイルの変化も考えに入れたメンテナンスにより生活の質を保つことができるそうです。問題はその資金をどこで賄うのかという点ですが、二世帯三世帯の同居でなければリバースモルゲージというローンの仕組を利用することも可能で、自分が生活している住宅に抵当権を設定して融資を受けて住み続け、返済ができなくても最後は抵当権を実行することで金融機関も納得できる仕組があります。資産価値の高い住宅なら十分な融資を受けられますし、そのような住宅なら売却した資金でライフステージに相応しい家に住み替えることもできます。

北陸新幹線による関東エリア拡大

 ネット配信による経済番組が選んだ今年2015年のヒット商品のトップは北陸新幹線だそうです。乗客数が在来特急の3倍とJRの見込みを大きく上回り、開通区間はもとよりこれまで関西圏の観光客が多かった山代温泉や福井県あたりまで、関東圏の人が増えてその数が逆転するなど周辺地域への波及効果にも着目されています。距離の割に時間のかかり遠く感じられた金沢が東京から2時間半に短縮され、一泊すれば十分な行動範囲に入ったということでしょうか。これは、金沢からも2時間半の距離になったということにもなります。仕事がら出張が少なく、私自身はまだ北陸新幹線に乗る機会がありませんが、先日、名古屋で開催された研修会に参加した際の移動時間が2時間半でした。早朝に在来の北陸線“しらさぎ”に乗り米原で新幹線に乗り継いでこの時間ですので、在来線だけだと3時間近くかかることになります。大阪まで“サンダーバード”に乗っても同じ様なもので、東京も大阪も名古屋も時間にすると変わらないことになりました。今回はスーツにネクタイを締め乗り継ぎもあって、社内で缶ビールを開けるほどのゆとりはないものの、車での移動と比べれば気分はリラックスして、できれば東京へも新幹線で行ってみたくなる行程でした。小松から東京まで出るには、急ぎなら空港に車を停めて飛行機を使うか、時間があれば高速道路のサービスエリアから高速バスに乗る選択肢もあり、時間とお金にゆとりがあるときは缶ビールを飲みながら新幹線を使うという選択肢が増えました。日帰りするのは勿体ない気がしますが、これからは正月ラグビーを見てその日のうちに帰るような日程が簡単に組めます。

麻酔のない胃カメラ健診

二年ぶりに健康診断を受けてきました。昨年は何かと落ち着かないことが多くて受診できず、今年は申込が遅れれて春から夏にかけて病院の日程が埋まった後で受診が十月になってしまい、実質的には2年数ヶ月ぶりの受診になりました。この期間は体調の変化や大きな病気もなく診察のため病院に行くようなことはなかったのですが、町内会の用務が続いたことなどあって外を歩く機会が減って体を動かすことも少なく、運動不足という面から気になるところはありました。健診当日のドクターからの説明では、コレステロール値などギリギリの数値が出ているものの問題はなく、これまでの状態を維持できればそれでいいとのことで、まずは安心というところでした。ちょっとメタボ寄りの体型に見えるドクターなので少しは緩めの判定かと思いながら、ギリギリと言われた数値の改善を目標に、自転車に乗る時間ぐらいは作りたいと考えているところです。

日程がとれないほど多くの受診者のいる健診ですが、初めての胃カメラ健診を思い出すと随分と楽になりました。最初に胃カメラを呑んだのは小松市内の公立病院で、今よりもかなり太いチューブが使われていたように覚えています。メガネを外してから壁の張り紙を読んでおいて下さいと言われて困ったり、隣の老眼の方は配られた説明書を読めなかったり、十年前の健診は不安だらけでした。不安だったので次の年は別の病院に行ったところ、麻酔のせいか午後になってもぐっすりと眠りこんでしまい、「あの人まだ寝ている」という声が遠くから聞こえるまで気がつかなかったこともありました。ここ何年かは麻酔を使わず受診することを勧められそれに従っています。何年かのうちにチューブは細くなり素早く検査して時間も短縮され、薬も減っているので体の負担は軽くなっています。

無料サービスへの取り組み

 石川中央労務研究所・丹保社労士事務所ではこの夏から顧問先の皆さんを対象にした新しい取り組みの準備を進めてきました。経営情報・労務情報をそれぞれの必要に応じた内容のものをタイ ムリーに提供しようというものです。これまでも毎月お送りしていた紙のニュース「石川中央労務通信」「経営のヒントとなる言葉」やメールマガジン「ローム ルームマガジン」に加えて、紙版「社労士News」メルマガ「事務所メールニュース」をお届けすることにしました。社労士Newsは給料計算の際に給料明 細書と一緒に同封し、メールニュースはメール登録して頂いた方にお届けします。配信をご希望の方はメールでもお電話で構いませんので、いつでもお申込み下 さい。また、「ビジネスリポート」もピックアップしてお送りすることにしています。こちらは、「経営のヒントとなる言葉」を含む毎月十数本の新作のビジネ スリポートからご希望のものをリクエストしていただいて、FAXまたはメールでお送りするものです。こちらは送信までに多少のお時間を頂くことになります が、バックナンバーもご覧いただくことができますので、関心のあるテーマがありましたらお知らいただければお送りします。リポートの内容として経営問題・ 労務問題にこだわらず様々のテーマを扱っており、記事のボリュームは数ページ程度です。連載物もありますが、多くは次ごとの合間に流し読みできて、概要を 把握するには手頃ではないかと思います。顧問先の皆さまにはメルマガ・ニュース・リポート・どれも全て無料で提供できますので、是非、ご利用いただきたい と考えています。

品種不明野菜は鳥達の餌

 自分の生まれ育った土地でありながら、そこに一体いつごろ何を植えてどうやって育てるものなのか、種子や苗を何処から買ってきていいのかさえよく分りません。草 むしりもろくにせずに一年が経ってしまいました。ずっと昔は織物工場がたっていたという家の裏に父親が柿木など何本か植えて空いた場所に花など育てていた のですが、菊の花などに虫がついても気づかなくなった母親は次第に野菜にシフトしてナスやトマトを植えていたようです。海岸に近くサラサラとした砂地の肥 えた土地でないため、子供の頃は浜に続く道を歩くと防風の松林で守られた場所にブドウやサツマイモを栽培していたことを覚えています。それで、まずはサツマイモと考えて苗を探しにJAに行った時期は既に遅く、ホームセンターで3品種ほど残っ ていた苗を買いました。品種の違いは分りません。あわせて、残っていたトマトの苗とネギの苗も買いました。トマトの品種も分らず、ミニトマトではない「普 通のトマト」が自分なりの選定基準になりました。ネギは「根深」。ナスの苗も探したのですが、たくさん残っているのに何故か枯れ枝のように葉っぱが茶色く カリカリの苗ばかりで諦めました。キウリやカボチャは育ち過ぎると手に負えないという母親の言い付けを守って植えていません。少し悩んだのがマメでした。 「ダラマメ」という名前からして放って置いても勝手に実をつけそうな千石豆なら簡単かと思っていたのですが、いつ植えるのか分らないうちに梅雨になり、こ こは「虫が着く」と顔をしかめる母親の忠告を受け入れることにして、これも植え付け中止です。そして、今までのところ収穫はほとんど有りません。水遣りが できないため、ネギは枯れ、トマトは枝が折れて実が割れて鳥達の餌場になりました。植えただけで一度も肥料をやっていないサツマイモは葉をつけているもの の、砂の中にイモが育っているのかどうか、掘り起こす時期も分りません。収穫時期も気になりますが、大根・葱・白菜など冬の野菜の植え付け時期も気になり ます。そのうえ、今頃と言われますが、夏の野菜を抜かないと冬の野菜を植える場所が無いということが分ってきたのです。花作りや野菜作りに夢中になる人た ちが深みにはまっていく訳が少し分ってきたような気がします。いくら無駄が多くても草むしりだけより楽しいことは想像していた通りでした。

いま在る環境の大きな変り目

 気がつけば事務所の置かれた環境が大きく変わり、社会保険労務士事務所として今これに対応すべき時期に来ているように思います。本来ならば、昨年、開業から十年を迎え移転から2年を経過して落ち着くべきところで電子申請に取り組みたいと考えていました。しかし、母親の住む土地の立ち退き問題を放置できず、膨大な時間と費用を奪われてしまいました。母が施設に入居して身の危険も和らぎ少し落ち着きましたが、事務所の体制整備には一年ほど遅れをとったようです。今年に入ってマイナンバー対応も社労士業界の課題となり、一気に整備すべき時期が来ました。事務所の経営環境だけでなく地域の雇用環境も大きく変わりつつあり、そのためにも関与先の皆さんに何かすべきと考えていたところです。そこへこの春に中小企業庁から「小規模事業者持続化補助金」の募集があり“石川中央労務研究所”として応募し、7月に採択された旨の通知を受けました。その内容はこれまでの給料計算など事務代行業務に加えて、これまで以上に企業のヒトづくり「人材育成」を積極的にサポートしようというものです。パート・アルバイトに頼るビジネスモデルを見直し、永く“働くヒト”による業績アップを目指す長期的取組へのシフトです。賃金制度・評価制度が固まっている企業であれば、人事制度PDCAサイクルに「人材育成」をきちんと組み込むことで効果的な運営ができます。企業を強く元気にする取り組みとして近くご案内したいと考えています。また、経営情報・労務情報についてこれまで以上の内容でお届けするよう心掛けていきます。ご期待ください。

会津のお城にソースかつ丼

 通行止めの磐越高速道を途中で降りた会津の町に復元された若松城天守閣、歌曲「荒城の月」のモデルの一つと言われ、クーデターに敗れて都を去った城主が 1ヶ月に及ぶテロリストとの籠城戦を経てボコボコになって開城された後の会津鶴ヶ城の古い写真を見ると身も心も凍てつく思いがします。「明日の夜は何国の 誰かながむらんなれしお城に残す月かげ」の歌はこの姿を知らずお城の白壁に刻まれたのか、亡き弟の仇討ちと形見の装束で身を固めた女傑山本八重は元込七連 発スペンサー銃を操り、土佐からの先鋒板垣退助を釘付けにし薩摩からの援軍大山巌の急所を僅かに外して退け、連日に亘り数千発といわれる砲弾の雨の中を生 き延び生まれ変わったかのようです。忠義に厚く薩長を容認しない会津を潰すことがクーデター完了の象徴だったともいえます。奥羽越同盟軍が敗れ時を経て偽 官軍偽錦旗偽天皇など勝者が肯んずる筈もなく「勝てば官軍」の言葉通りです。和睦の申出を拒絶し挑発を繰り返しながら無尽蔵の農民奇兵を送り込み消耗戦に 持ち込む手法はその後の明治政府のプロトタイプにも見えます。一方では、白虎隊自刃の悲話の心情もまた玉砕の精神に引き継がれたようです。さて、高速道路 を降りて食べたのは、喜多方ラーメンとソースかつ丼と山菜そば、一度に食べたわけではありません。不思議だったのがソースかつ丼で、福井と比べてカツが大 きく一切れ、刻んだキャベツはたっぷりと敷かれていて、ご飯は粒がスクッとたった口あたり。会津と越前、離れた土地ながらいずれも洋食起源説であり、言葉 の訛り具合が似ているが松平つながりでもないだろうとビールも頼んで考えてみました。

大聖寺まち歩き流し舟

 大聖寺のまちを歩いて案内してもらいました。十年ほど前から続いている研究会で「大聖寺のまちづくり」をテーマにコンサルタントの能宮さんにお話し頂い たのですが、そのスピンアウト企画として研究会メンバー数名で実際に歩いてみることになりました。私は子供の頃に父から昭和九年の大火事のことを何度も聞 かされ、ハローワークや市役所など仕事でも行く用事の多い町で、知らない町ではないのですが、車で走り回るだけで自分の足で歩くのは初めてです。200年前の古地図で歩ける「大聖寺まち歩き」ということで、独りで歩いていては分らないような話を聞きながら南加賀江沼の城下町を散策できたのは貴重な体験で す。蓮如の吉崎御坊・一向一揆が滅ぼされ前田家の利常三男の利治が初代大聖寺藩主ということですが、数で優る前田利長と激戦を交えた秀吉の家臣で錦城山大 聖寺城主の山口玄蕃もこの町で親しみを持って語られていました。遥か江戸時代の初めに廃城されても大聖寺のシンボルのような存在になっている錦城山は散歩 するには険しい坂道ということで、ガイドして頂いた能宮さんはここで山登りのトレーニングを重ねているようです。もう一つ町の特徴なのが大きく蛇行して流 れる旧大聖寺川で、この川端に藩主の休息所とされる長流亭が大火を逃れて江沼神社に残されています。宮司の話では昭和の修理に隙が出ても創建当初の造作に 狂いは生じていないそうです。そのころ突然に廃窯となったのが古九谷ということで、県立九谷焼美術館が建てられています。中の喫茶店でお茶を頂いて、この 日のまち歩きは解散になりました。